□ 作品紹介
- わが指のオーケストラ
- 山本おさむ 監修:全日本ろうあ連盟
1991~1992年 ヤングチャンピオン連載 単行本 全4巻
大阪市立ろう学校の学長を勤めた教育者、高橋潔先生の生涯を描いたマンガ。
ろう教育で口話法に傾注していく時代の流れに抗して、手話法を守った人物。
近年に、「わが指のオーケストラ」に手話歌が出ている、という噂が広まった事がある。初めて知ったのは、2017年の手話言語フォーラム in 世田谷 での講演で驚いたが、ツィッターでも散見。本当は、このマンガにはどこにも手話歌は出ていない。音楽に言及している場面はあるのだが、これは手話そのものを指して言っているのであり、手話歌のことではない。読めばすぐに確認できる事であり、誤解が出てくる余地なんてないのに、なぜこんな話が出てくるのか。
音楽に触れてる場面はあるが、ろう学校で「安寿と厨子王」のお話を手話で読み聞かせた後で出てくるセリフだ。手話で歌ってなどいない。
□ さらに古い手話歌の起源
実は、高橋潔先生を日本で初めて手話歌を作った人物として紹介したことがある。
この高橋潔先生が作った手話賛美歌が、今もキリスト教会で歌われ続いている。
上記の記事を書いたときは、川淵依子「手話讃美」(サンライズ出版)にこの話が載っており、これが確認できる最古の記録だった。昭和7年(1932年)10月。大阪聾唖基督日曜学校で高橋潔が手話で賛美歌を歌ったとしている。
ところが最近になって、日本の手話歌はもっとさかのぼれると、日本聾史学会の方に教えてもらった。
国立国会図書館デジタルコレクション
「五代五兵衛.[本編]」五代五兵衛翁頌徳会 編
この 102頁に、手勢唱歌を演じた記述がある。明治35年(1902年)の11月22・23日に中之島公園地東公會堂で開催された慈善音樂諸藝大會で、「聾唖生の撥音謝辭、手勢(手まねの)唱歌を演じたが、それが、來會者に異常な感動を與えたといふことである。」
資料としてはこれだけで、具体的にどんな形で歌を表現したのかは書かれていない。これが高橋潔先生にどうつながるかは不明。今後の解明に期待したい。
□ 高橋潔先生の手話歌
この話は一般には知られていない。高橋潔先生の手話歌の話ですら、大多数の人は知らないと思う。が、一部には知られてる話で、これが影響して「マンガに手話歌が出てる」話になったのだろう。
しかしながら、山本おさむ先生は、マンガに描いた時は手話歌は意識していなかったはずだ。実際、「手話讃美」の本に山本先生の寄稿があるのだが、そこには手話歌の話は一切ない。もっぱらろう教育における口話法・手話法の話に終始している。高橋潔先生が手話歌をやってた事を意識してなかったとわかる。本当にマンガに手話歌を描いたのなら、言及しているはずだ。
ツィッターでこの噂が出たときは、左よりな人から出ていた。左翼な人が手話歌をアピールするために、高橋潔先生の高名を利用しようという意図があったのではないか。手話歌で、耳の聞こえない人のために良いことしているというイメージを植え付けたいのだろう。
左翼は、時々こういう事をする。事実など無視して、自分に都合が良ければウソでもデマでもかまわずに流言する。その典型例が、東日本大震災に関する放射能デマだろう。
本当は、高橋潔先生は左翼とは相性が悪い。その理由は、先生の宗教観・教育観にある。
高橋潔先生はクリスチャンだが、他の宗教に対しても寛容だった。ろうあ者にも道徳心を持たせるのに宗教教育は必要と考えていた。だからこそ、キリスト教日曜学校でろうあ者のために手話賛美歌を歌い、これが今もキリスト教会に伝えられているのだ。校長としても、「本校の教員採用に際し第一の条件は宗教を持つ人であります。何宗教何宗派でも結構です」とされていた。
左翼は……共産主義という名のカルト教団だという面が強いのだが、まあ無神論を取っている。宗教を敵視する立場にある。手話歌をアピールするにしても、宗教を大事にしてろうあ者を思いやる手話歌をやる高橋潔先生の存在は都合が悪い。先生と対比すると、自分たちのろうあ者を無視し頑として音楽を伝えようとしない手話歌の悪しき面が目立ってしまう。
本当は手話歌をやる左翼にとっては、高橋潔先生の存在は都合が悪いものとして避けるべきものなのだ。おそらく、高橋潔先生に関する著作物なんて全然読んでなくて、単に「わが指のオーケストラ」で有名だからあやかろうという程度の認識なのだろう。
□ 手話歌の本が出ない事情
さて、これで「手話歌をやりかけたマンガ」「手話歌がないのに『出てる』とされたマンガ」を紹介した。それでは手話歌のマンガがあるかというと、ある事はある。が、極めて少ない。次の二作しかない。
- 「きこえますか愛!」星野めみ (1978年)
- 「みんなのこえが聴こえる」岩崎弘美 原作:アツキヨ (2004年)
この事は、以前にも紹介済だ。
手話コーラスは意外とマンガに出てこない
この時は、「手話コーラスは音楽ではない」と考えたからと結論している。
あれから十五年以上たっているが、新たに手話歌を扱ったマンガは、ない。
これに加えて、もっと大事な事を指摘する。
手話歌の教本すら、存在しないのだ。
これは 2008年9月にすでに指摘している。が、これから 10年以上たつのに、未だにない。
手話コーラス 三つの誤り
「手話歌の振り付けや動画をつけた本がいっぱいある」は、反論になってない。
僕の言うのは、もっと基本的な解説本だ。他のジャンルで言えば、ピアノの基礎トレーニングとかピアノ奏法の教本、登山本で言えば登山入門とかいったものだ。登山入門書は意外に内容が充実しており、必要な道具からトレーニング法、読図法、疲れない歩き方と、具体的かつ実用的なのだ。ほとんどのジャンルにこの手の入門書がある。が、手話歌には入門書が存在しない。
おそらく手話歌に興味を持った人達は、入門書なら当然あるだろうと思って大きな本屋に行ってみたが、全然ないのに驚いているはずだ。仕方なく振り付け本を購入しているが、図解があるだけでどういうやり方が正しいのかの説明がない。「ホントにこのやり方でいいんだろうか」と疑問に思いながら、我流・自己流で勝手にやっているだろう。
需要はあるはずなのに、なぜ出ないのか。
自分にはその理由がわかる。出せないのだ。
もちろん、偽善手話歌でもそれなりに技法・ノウハウはある。が、これをそのまま解説すると、音楽を表現してないインチキな代物である事が丸わかりになってしまう。
例えば、演じるステージの下でみんなを指揮する風で先に振り付けを見せて動きをトレースさせているアレを、どう説明するのか。
「手話ができない演者のために、見せてあげましょう」
なんて書けると思うか。手話ができない人がやっています、全然真面目に練習なんかしてません、と白状するようなものだ。
手話の振り付けの作り方も同様で、どうやって音楽を表現するのかのノウハウがない。このノウハウこそ求められてるものなのに、書けない。歌詞すら全然意訳してなくてテキトーに手話を振り付けとしてあてはめてるだけだなんてこと、書けるわけがない。
実際には、仲間内でこっそりと作った教本があるだろうと思う。これがないと、手話歌をやるグループをまとめられないからだ。でもこれを見ると、手話歌が偽善に満ちたウソの多いものであることが丸わかりになるので、表に出せない。
ほとんどの人には、表に出せない教本なんてイメージできないだろう。が、学生運動や過激派の活動全盛期を知ってる世代の人には、「腹腹時計」というゲリラ活動のための教本があった、と言えば思いだしてもらえると思う。
手話歌を真面目に解説した本が存在しない。
これがマンガや小説などでも影響する。資料集めをしても、真面目な資料が出てこないのだ。ウェブ検索すると、今度は手話歌を批判するサイトが出てくる。スキャンダルまで暴露している。これってウソ・ウワサの類いではないかと裏を取ってみれば、本当にあった事だとわかる。これでは、手話歌を作品にしょうと企画している者でも慎重にならざるを得ないだろう。
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