Yahoo! 知恵袋で、こういう質問が出ていた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10112947295
小田急の豪徳寺駅と接続している東急世田谷線の駅名は、どうして何十年も前から「豪徳寺」ではなく「山下」なんですか?地図を見ても、そんな地名はないし…。
ここでベストアンサーに選ばれたのが、自分の回答。
昔は本当に、豪徳寺の近くに「豪徳寺前駅」がありました。
1945年7月15日に、上町寄りにあった豪徳寺前駅と、山下寄りにあった宮の坂駅とが統合されて今の宮の坂駅になりました。その時はすでに小田急線が開通してて豪徳寺駅ができていたので、違う場所に同じ駅名をつけると混乱すると判断したのでしょう。
この時は、ウェブ検索でざっと調べて、当時の路線図も探し出し、これをもって回答とした。
世田谷線で昔の駅と今の駅が変わっている事を知り、もう少し調べてみた結果をここにまとめておく。
まず、さまざまな古地図から世田谷線の部分を抜き出したものを示す。
豪徳寺前駅だけでなく、他にもなくなった駅、位置が変わった駅があることがわかる。
2 の「大東京最新明細地図」を元にして、それぞれの駅の場所を確認したので、ここにレポートする。
現在の地図として、国土地理院発行の 1万分の1 地形図「世田谷」を用い、昔の駅の位置を青丸で示しておく。
「豪徳寺前駅」と旧「宮の坂駅」
まず、知恵袋でのきっかけになった「豪徳寺前駅」と昔の「宮の坂駅」である。
確かに、豪徳寺に近い所に豪徳寺前駅があった。駅を降りて、昔はあった烏山川沿いに歩いて橋を渡れば、すぐに豪徳寺の門が見える。烏山川は暗渠化され、緑道となっている。
しかし、現地に立つとわかるが、今の宮の坂駅がすぐそこに見えるのだ。「昔の豪徳寺前駅が今の宮の坂駅に変わったのだ」とウソを言われても、そのまま信じてしまいそうな近さだ。
では、昔の宮の坂駅はどこにあったのかというと、山下駅・豪徳寺駅寄りにあった。
世田谷八幡宮のわきに、宮の坂という坂道がある。この宮の坂は意外に昔からある古道で、江戸時代以前からあった。
今の宮の坂駅は坂下にあるのだが、昔の宮の坂駅は坂上にあった。宮の坂は神社のわきを過ぎるとほぼ平坦になるのだが、世田谷線は昔の宮の坂駅があった所まで登りが続く。宮の坂の急勾配を、電車でも登れるように勾配をならしてあるのだ。
旧宮の坂駅から豪徳寺駅まで、豪徳寺商店街が続く。実は、この商店街に「宮の坂薬局」という店がある。
昔の宮の坂駅の近くにある店だったので、名前として残っているのだ。昔の宮の坂駅を知らない人が見たら、「なんでこんな所に宮の坂の名前があるの?」と不思議に思うところだろう。
1945年7月15日、豪徳寺前駅がなくなり、宮の坂駅が現在の位置に移された。
「七軒町駅」と「六所神社前駅」
昔は「松原駅」がなく、七軒町駅と六所神社前駅があった。
現在の町名ではわからなくなってしまっているが、昔は下高井戸と松原の間に、七軒町という甲州街道沿いの町があったのだ。ただ、七軒町駅は最初からあったわけではないようで、大正14年の地図では記載されてない。
現在の七軒町駅跡は、空き地になっている。
六所神社前駅は、名前の通りに六所神社のすぐそばにある。写真で後に写っている杜が、六所神社である。
ホーム跡地はアジサイなどの花壇になっているので、すぐにわかると思う。
このあたりに野生のタヌキが出るという話を聞くが、自分はまだ見たことが無い。六所神社をねぐらにしていると言われている。
1949年9月1日、七軒町駅がなくなり、六所神社前駅が現在の松原駅に移された。
勾配の多い宮の坂駅~松原駅間
世田谷線では、三軒茶屋駅から宮の坂駅まで、ほとんど勾配が無い。しかし宮の坂駅から松原駅までは起伏に富んでおり、坂になっているのが観察できる。
現宮の坂駅と旧宮の坂駅の間に、宮の坂があることは既に書いた。
他にも、山下駅は谷間になっており、旧宮の坂駅から下り坂となる。そして六所神社前駅まで峠を越えるようになっている。この写真が、峠状になっているあたりだ。
これは、河川図を見ると理由がわかる。宮の坂駅のそばを烏山川が流れており、谷間から台地に上がる形で宮の坂があるのだ。そして山下駅の近くでも北沢川とその支流が流れており、峠状の地形は北沢川とその支流の間を越えているのである。
そして世田谷区を流れる河川はおおむね西から東へと流れている。そのため、上町駅から三軒茶屋駅の間は河川を横切ることがないために、ずっと台地上を走っておりほぼ起伏が無いのだ。