□ 要約
- 手話歌をやる人たちは、初めから耳の聞こえない人のために音楽を伝えるつもりが無い。
- ほとんどの手話歌は、単に歌詞を手話に置き換えただけであり、音楽を表現していない。
- 手話歌をやる目的は、「良いことをしている」と思わせてイメージアップをはかるため。
- 手話歌の活動を指導している人たちは、これが偽善であることを承知の上でやっている。
- 音楽を伝えていないと批判している聴覚障害者は多いが、偽善者はわざと無視している。
- この偽善者の正体は左翼系の工作員であり、自分の利益のために手話歌を利用している。
- 手話歌をやる全員が偽善者というわけではないが、気づかずに偽善者に利用されている。
この要約に驚いた人は、多いと思う。いわゆる「ネット右翼(ネトウヨ)」的な意見ではないかと思う人もいるだろう。
しかし、以前から「手話歌をやる人たちって、やってることがどうもおかしい」と不審に思っている人も少なからずいる。その通り、その違和感は正しい。
以下、これを解説する。
□ 手話歌は、耳の聞こえない人に音楽を伝えていない
「手話歌は耳の聞こえない人のためのものだ」と思い込んでいる人は、多い。その先入観を利用されている。
この間違った先入観を持っているのは、健聴者だけではない。聴覚障害者も「音楽を伝えてくれているんだ」と思い込んでいる人が多い。音楽とはどういうものなのか、具体的なイメージを持たない聴覚障害者はけっこういる。生まれつき耳の聞こえない人には、音楽を直接聞いた経験なんて無い。そういう人が初めて手話歌を見たら「これが音楽なんだ」と思ってしまう。こういう勘違いを、偽善者につけ込まれているのだ。
実際、手話歌についてのアンケートを見ると、「手話歌では音楽は伝わらない」と考えている人の率は、健聴者の方が高い。また、聴覚障害者の団体活動を積極的にやっている人ほど「手話歌は音楽ではない」と考える人が多くなる。つまり、情報量の少ない人はだまされ、多い人は真実を見抜く。
僕は三歳で失聴しているが、失聴する前の音の記憶がある。スズメの鳴き声を覚えている(ほとんどの聴覚障害者には、スズメの声は聞こえない)。失聴後も、鈴虫の声を補聴器のボリュームを最大にして聞き込んでいるし、音楽にもそれなりに親しんできた。僕なりの音楽のイメージを持っている。
今の手話歌は…… 残念ながら、音楽のイメージを表現していない。
自分が二十代の時にすでに、音楽を表現していない事に気がついていた。しかし、手話歌が誕生したばかりでまだ技術が進んでいないためで、これから発達するだろうと思っていた。そして手話歌について関心が無くなり、しばらく離れていた。四十代になり、改めて手話歌に注目してみたら……十年以上もたってるのに、全然進歩していない! 相変わらず、音楽を表現していないのだ。
□ 偽善者に攻撃を受ける
自分のウェブサイト「マンガの中の聴覚障害者」で、手話歌は音楽ではないという意見を書いた。その一番最初のものが、「最初の手話コーラスマンガ」というページだった。
そうしたら、自分のサイトに対する攻撃を受けてしまった。この経緯は、「このサイトへの悪質な妨害行為」に詳しい。このページを書いた時点では、相手に対する配慮として名前を伏せているが、偽善者の正体がわかった今では配慮する理由がこちらには無いので、ここに公開する。広島市の手話コーラス団体だ。
この機会に「手話コーラスについて調べ、考えてみた」を作成し、手話歌の問題点を明らかにした。
手話歌ではなぜ音楽が伝わらないのかをきちんと考察し、まとめてあるのが次のページだ。
「間違いだらけの手話コーラス」
「今後のための提言」
「手話コーラス 三つの誤り」
読めばわかるが、きわめて真面目な内容であり、手話歌をやらない人たちからはけっこう好評をいただいている。では、手話歌をやる人たちの反応はどうだっただろうか。
簡単に言うと…… 無視。初期は散発的な反論があったが、その内容はきちんとした反論になっていなかった。この反論を拾い上げて「手話コーラス 三つの誤り」にまとめたところ、反論すら無くなった。
と同時に、自分のサイトへのサイバー攻撃が執拗に繰り返された。これについては「続・このサイトへの悪質な妨害行為」にまとめている。陰湿な悪意を持った行為が続いていた。このやり口、韓国の反日宣伝を繰り返すネット工作員に似ていた。
Yahoo! Japan での検索結果の操作については、このブログでも「Yahoo! Japan の検索エンジンが Google になった時の話」「Yahoo! Japan 検索結果の操作を見つけた」でも説明しているので、合わせて参照してほしい。
この検索エンジンの操作を特にひんぱんにおこなっていたのは「手話くりーむ」「ちびぱんだのページ」というサイトだった。他の手話歌関連のサイトでも、操作がおこなわれていた。
この他に、迷惑メールを送りつけるのみならず、トロイの木馬付きメールも頻繁に送られてきた。迷惑メールは一日に百通以上送られた。
きちんとした説明をせず、陰湿な攻撃を繰り返す態度は、どう考えてもおかしい。不自然だ。まっとうな人間の取る態度ではない。
本当に真面目にやっているのなら、自分たちのやってる事を理解してほしいと思うものだ。耳の聞こえない人たちに音楽を伝えたいと本気で思ってるのなら、僕の意見を参考にして音楽を伝える工夫・努力をするはずだ。そのどちらもやらない。
実際に手話歌以外の聴覚障害者団体・関連団体では、団体の活動方針として活動目的を明確に掲げており、その実現のために努力しており、自分のやってる事をきちんと説明している。しかし手話歌をやってる団体は、頑として説明責任をはたそうとしない。これは僕以外の聴覚障害者(複数)でも異常さを感じ取っており、手話歌の活動をしている人に「やってる事はおかしい、音楽を伝えていない」と問いただしても、相手は頑として無視し、説明しない。
もう一つ、不自然な事があった。
手話歌団体が頑として説明しない姿勢は全国一律、同じだった。北海道から沖縄まで、全部同じなのだ。
以前は「津軽から沖縄まで」と書いていた。北海道の手話歌グループを把握しておらず、偽善手話歌グループの最北が津軽だったからだ。最近、北海道にも偽善手話歌グループがいることを確認できた。
本当は地域差というものがあるし、やってる人の個性による活動方針の差異もあるのが普通なのだ。しかし、そういう差異が感じられなかった。手話歌関係の団体を統べる全国的な組織は存在しないはずなのに、まるで上から指令があったかのような統一した動きだった。表向きはつながっていないように見えても、裏でつながっているという印象だった。
ここまで気づいたのは、おそらく僕だけだろうと思う。が、こうして指摘すれば、なるほどと思い当たる人は多いはずだ。
ちなみに、彼らは「曲の手話」「歌の手話」という変な用語を使うようになっている。おそらく検索エンジン対策だろう。昔は「手話コーラス」を使っていたが、検索すると自分の「手話コーラスについて調べ、考えてみた」がヒットしてしまう。この用語を避けるために「手話ソング」「手話ミュージック」と言い換えていた。今ではこの用語でさえまずい情報が検索で出てしまうようになったため、さらに言い換えたあげくに、こんな変な言葉になってしまったのだ。
□ ようやく正体に気づく
以前は、手話歌をやる人たちの背後にあるのは、芸能界だろうかと思っていた。手話くりーむの人も以前に映画で手話指導をしていたし、少年少女合唱団で手話コーラスの指導をしていた。加えて、芸能タレントが主催している手話ミュージックコンテストで不公正な審査をした事件もあった。これは「手話歌のコンテスト」に詳しい。
しかし、芸能界だとしても、ここまでやってなんの得があるのだろう。この考えには、あまり納得できていなかった。
一方で、自分の身辺にもおかしな事があった。あまり露骨ではないが、自分に対する態度が不自然な人が何人かいた。こちらの動きを探るような言動をする人がいるし、微妙な線をついて嫌がらせみたいな事をしてくる人もいる。
聴覚障害者の活動に長らく関わってきた方(ここでは伏せるが、この分野では有名な人だ)から、この人のことを「左翼だ」と指摘されて、それまでの疑問がいっぺんに氷解した。
手話歌には左翼の人も関わっていることは、すでに知っていた。
日本の手話歌の起源には二つあり、その一つが左翼活動家による安保闘争の中から生まれた手話コーラスだ。これについては「手話歌・手話コーラスの歴史」で解説してある。しかし指摘されるまでは、左翼活動家を偽善的な活動の主体と見る発想がなかった。盲点だったのだ。
手話歌をやる偽善者の正体が左翼活動家だと考えると、それまでつじつまの合わなかったものが、ぴしっとスジが通るようになった。
「手話歌のコンテスト」の中の、「しゅわるソングコンテスト」を例として説明しよう。
主催団体「手話レクチャー ハンズ」が不審な団体である事はすでに書いてある。
さて、後援団体をチェックしてみよう。「手話歌のコンテスト」のページではわざと軽く流したが、実はここにも不審な点がある。
- 後援団体:
- 財団法人新潟県女性財団、社団法人新潟県手をつなぐ育成会、社団法人新潟県社会福祉士会、新潟県社会福祉協議会、NPO 法人新潟 NPO 協会、新潟市市民活動支援センター
これらの団体の事務所は、手話レクチャー ハンズとともに同じビル、新潟ユニゾンプラザに入っている。同じ左翼活動仲間なのだ。手話カフェ スオミも、手話レクチャー ハンズと同じ人が役員になっている。
そして新潟市長・新潟知事も左翼だという。みごとに、後援団体を左翼活動団体の仲間で固めているのだ。
新潟 NPO 協会は、新潟県の NPO 団体を登録したデータベースを持っているのだが、この内容、新潟県及び内閣府で登録されている NPO 法人団体のリストと一致しない。偽装 NPO 団体を多数登録しているのだ。「手話レクチャー ハンズ」も、正式に NPO 法人団体「しゅわるハンズ」として登録される前は、このデータベースに NPO 団体として登録されていた。
僕は新潟について、田中角栄元首相の越山会の地元であるため、保守系のイメージが強かった。しかし改めて調べてみると、左翼の一大拠点だということがわかった。ロシア(旧ソビエト連邦)と中国の領事館が新潟にあるし、北朝鮮の万景峰号の寄港地でもあった。
そして「手話くりーむ」の人も過去に新潟に住んだことがあり、今も年に数回は新潟を訪れているという。表向きは、新潟時代の友人に会うためとしているが。
僕のまわりでおかしな態度をとる人も、新潟と関係があったり左翼的な人だったりしていた。
以前は芸能界の人が仕掛けていたのかと思っていたのだが、実は逆で、左翼が芸能界を利用していたのだった。
手話歌の活動が盛んな地域は、左翼活動が盛んな地域と重なる。
- 沖縄は、反戦・反米の左翼活動と重なる。ここで手話歌活動をしている人も、わかりやすく左翼な人だ。
- 広島は、反核の左翼活動と重なる。ここの手話コーラス団体の会長は、地元では名士らしい。
- 大阪は、同和・障害者福祉などさまざまな左翼活動がある。
- 東京は、日本の首都なので当然ながらさまざまな左翼活動がある。
- 新潟は、左翼の一大拠点であることはすでに説明したとおり。
- 福島は…… 事情がややこしいので、別の機会に。東日本大震災とは別の問題だ。
ちなみに、沖縄には手話歌をやらないことを会の方針としている手話サークルがある。沖縄と言えば左翼というイメージが強いようだが、実際にはそうでもなく、左翼的なものに反発する住民もいるのだ。沖縄の新聞は左翼的な内容が多く、中央のマスコミでよく引用されるが、実は地元の人には評判が悪い。マンガ家のいしかわじゅんがこのあたりのことを書いているので、ウェブ検索してみると良い。
もうおわかりと思う。日本各地の手話歌団体が一律に同じ行動をとる理由は、左翼活動として上から指令が下っているからだ。おそらく、手話歌活動のマニュアルがあり、それに沿って行動しているのだろう。
彼らは、思想傾向が左寄りなんて生やさしいレベルではない。警察の公安に行動をチェックされているレベルだ。
手話歌は韓国・中国でもおこなわれている。おそらく、左翼活動家を経由して広まったものだろう。手話歌が普及したことをもって、障害者差別が改善されたと見る人は、考えを改めてほしい。実情は逆で、聴覚障害者への理解が未だに不足している事を示している。決して自慢できる話ではない。
□ 手話歌が進歩しない理由
手話歌を真面目にやる気がないから、という単純な理由ではない。
いくら左翼だろうと自分の利益のためだろうと、ちゃんとした手話歌をやって人を感動させることができれは、それに越したことはない。その方が人々を納得させることができるし、聴覚障害者も味方につける事ができる。ちゃんとした手話歌をやった方が得なのだ。考えればあたりまえな話なのに、なぜそうしないのか。
実は、どうすれば手話歌を進歩させることができるかも、僕がすでに「今後のための提言」に書いている。僕の処方箋は単純明快、「手話の下手な奴をステージに出すな」である。これには誰しも同意すると思う。こんな簡単な事が、どうしてできないのか。
実はこれ、左翼の人たちにとっては意外にハードルが高いのだ。実施できない理由は、彼らの偽善的な活動のやり方にある。
手話を学んでいる人は多いが、手話の微妙なニュアンスまで理解でき、きちんと表現できる人、ろう者と対等に会話できる人は限られている。ちゃんと手話ができる人に限定してしまうと、ステージに立てる人の数は 1/10 以下に激減するだろう。ステージ上には、たった数人しか立てなくなる。
手話のわからない人たちをあざむき、良いことをしていると思わせるには、数の迫力で押すしかない。だから偽善者は手話がまともにできない人でも、かまわずに舞台に上げる。が、そういう事をすると、手話歌のレベルが下がってしまう。
しかし、偽善者には質が下がることなどどうでもいい話なのだ。だませればそれで良いのだ。
本当にうまい人なら、たった数人でも観衆を満足させる迫力のある手話歌を表現できる。実際に、Deaf-UNIT はこれをやってのけた。しかし、ここまでできる人材はさらに希少、百人に一人もいないだろう。Deaf-UNIT はその百人に一人のメンバーを集めた、奇跡的なグループだったのだ。
これに対して左翼の人たちは、不公正な審査でわざと落とすという卑劣な行為に出た。自分では Deaf-UNIT のまねができないからなのだ。本物があると、ウソでも人々に良いことをしてると思わせることができなくなってしまう。だから落とした。
本物の手話歌がやれない理由がもう一つある。
手話歌を通して仲間を増やすという目的もある。まずは手話歌に興味を持たせ、手話歌の活動に参加してもらう。そして活動を通して少しずつ思想を染め上げていく。見込みのある者には、左翼活動の仲間として迎え入れる。見込みのない人でも、手話歌を通した宣伝活動に利用していく。
こういうメンバーは、多い方が良い。入りやすい方が良い。ガチの本物をめざす手話歌は、難度が高すぎてついて来れないので、やらせるわけにはいかない。
だからやらせる手話歌は、誰でもできる簡単なものでなければならないのだ。
実例をあげる。
手話ミュージックコンテストで不公正な審査で Deaf-UNIT を落とした時、代わりに優勝したのが、野津田高校手話部。実は、左翼活動家が教師として赴任、手話歌を指導していた。
自分のウェブサイトでは、まだ高校生である事を考えてわざと名前を伏せていたのだが、彼らにはそんな配慮など通じなかったようだ。どうなったのかというと、卒業生を集めて手話歌をやる団体を立ち上げたのだ。団体名は「NPO 法人 Well Bee」。
子供たちを指導して左翼思想に染め上げ、活動家に仕立て上げてしまったのだ。
こういう手口が、あちこちの学校の手話部、手話サークルでおこなわれている。「新潟しゅわるソングコンテスト」がなくなった代わりに、東京都の大学手話サークルで「手話歌コンクール」を開催している。
□ では、どうするべきか。
1. 「音楽を伝えます」と明言せよ。
自分のやってる事に責任を持つことだ。
音楽を伝えていないと承知の上でわざとやっているので、責任を取らないために、音楽を伝えるという言葉を故意に避けている。これを改めることだ。はっきりと「音楽を伝えます」と約束することだ。団体の活動方針として明示することだ。まっとうな団体なら、あたりまえの事なのだ。このあたりまえをやることだ。
2. 音楽を伝えない手話歌には、ブーイングを。
「この手話歌、音楽を表現していない」と気づいたら、ブーイングを鳴らそう。そして堂々と、音楽になってない、音楽を伝えていないと批判しよう。批判することで、手話歌には問題があることを世間に知らしめよう。
音楽を伝えない手話歌は、耳の聞こえない人たちに対する差別行為なのだ。けっして善行ではなく、むしろ悪行なのだ。抗議して当然だ。聴覚障害者自身がブーイングを鳴らすのはもちろんの事、健聴者でも「これは音楽になってない」と気づいたら、遠慮することなくブーイングを鳴らして良い。むしろ、健聴者の方が音楽になっているかどうかが判断しやすい。
ブーイングを鳴らされたくないのなら、ちゃんと音楽を伝える本物の手話歌をやれば良いことだ。
3. 手話歌をやっている人たちは、真面目に考えよ。
君たちは、偽善者に利用されている。自分のやってる事が本当に良いことなのか、思い込みを捨ててきちんと考えてほしい。耳の聞こえない人をのけ者にし、気持ちを傷つけてまでやる価値のあることなのか。
指導している人たちに問いただすのは、まあやっても良いが、その場合はウソを平気でつく人がいるという実物例を見ることになるだろう。彼らは左翼活動に命をかけている。ウソをつくぐらいは平気なのだ。適当なところで見切りをつけ、深入りしない方が良い。